存在感があるってなに?目立つ人だけが存在感があるわけじゃない。
部屋を退出する時、出しっ放しにしていた椅子がいつの間にかキチンと整頓されていたことはありませんか?
皆でお店でワリカンする時、けっこう細かい金額で面倒くさいはずなのにスムーズに進むことはありませんか?
トークスキルが並程度のはずの自分のトークが、芸能人にも負けない位盛り上がった経験はありませんか?
レストランでお冷が運ばれて来た時、紙ナプキンを畳んでコップの下に敷いている人を見たことがありますか?
その他大多数の人にとってはどうってことの無い、自分にだけ大切な日に、わざわざその事を覚えていて連絡をくれる人は周りにいますか?
さよならをした後しばらく歩いてから何気なく後ろを振り向いたら、まだこちらを見送ってくれていた人に会ったことがありますか?
注意して周りを見ていないと素通りしてしまう様なことがたくさんあります。
私は上記の全てに当てはまる人に会ったことがあります。
ただ、その事に気づいたのは、その人がいなくなってからでした。
席を立つ時、だらしなく下げられた椅子を見た時、
ワリカンする際時間を取られ、店の入り口で他のお客さんに迷惑をかけていることに気づいた時、
自分にとって鉄板ネタだと思っていた話が思ったほど受けなかった時、
レストランでお冷が注がれたコップの下に水溜まりができていた時、
特別な日にメールが来ていなかった時、
友達と別れた後、後ろを振り向いても既に誰もいなくてフと寂しくなった時。
そんな時、
椅子を整頓してくれていたんだ。
ワリカンで皆からはキリの良い金額だけ受け取って、少し多めに払ってくれていたんだ。
一生懸命話を聞いて、笑って場を盛り上げてくれていたんだ。
紙ナプキンを敷くことで水滴が溜らないようにしていたんだ。
忘れないように覚えてくれていたんだ。
わざわざ見送ってくれていたんだ。
と気づきました。
ただ、その事に気づいたのは、その人がいなくなってからです。
それに気づいてからは、自分がそれまでやってきた「気配り」がいかに、わざとらしく、恩着せがましいようなものであるかという事を感じました。
存在感ってなんでしょうか。
居るだけで周りを圧倒するような存在感を持った人たちはやっぱりすごいと思います。 一方で、その人が居なくなって初めて、その人の「存在の大きさ」を感じることがあるような人がいます。
自分がその事に気づいたのは、その人がいなくなってからです。
いなくならないと気づけないのか? それは嫌だ。 じゃあ、今、気づけるようにしよう。
と言うことで、どこか遠くにいる「凄い人」を求めるのではなく、今、目の前にいる人たちの凄いところを見つけよう。 今、目の前にいる人たちを大切にしよう。